中国を抜けて陸路でヒマラヤのチベットへ(過去006)

中国大陸に到着

 

3日間の船旅の後、上海へ着いたものの、まだ体の中身は波に揺れていたが、とりあえず歩き回って安宿を探すことに。

 

友人に中国のガイドブックをもらっていたので、参考にしたんだけど、いまいち助けにならず、安宿を見つけても、宿の人にあっちの高い宿に行けと言われ泊めてもらえなかった。何故泊めてもらえないのかは検討もつかなかった。

しばらく歩き続けてやっと泊まれる安宿を発見。その後しばらくしてわかったのだが、中国では大きなホテルしか外国人を泊めては行けないと法律で決まっているようなのだ。

 

これは18年前の話なのでいまいち詳細は覚えていないのだけど、今でも覚えているのが全然うまくコミュニケーション出来なかったということ。思っていたよりも中国の漢字が理解できなかった。

 

他に覚えているのは、街中の全てが灰色だということ。全てのビルは塗装も装飾もされていず、ただのむき出しのコンクリート、中には鉄骨もむき出しのものもあった。ちなみに空も排気ガスで灰色。あまりの醜さにショックを受けた。

 

全ての料理が美味しくて辛い。他の国で食べる中国料理は本来の中国料理とは大分違うようだ。そしてかなりの確率でボラれる。

 

殆どのホテルの部屋に魔法瓶に入った白湯が置かれていて、それは一般的な中国式の顧客サービスのようだ。

 

その後片言の英語を話すヤクザ風のお兄さんに出会い、ぼったくられつつもなんとか列車のチケットを手に入れることができ、次の街、西宁市へ。それは3日間の列車の旅で、寝台車を取るべきだったんだけど、よくわからず、取ったのは柔らかい座席列車だった。とにかく何が自分の周りで起こっているか何一つわからなかったのだ。

 

3日間柔らかい座席に座り続けるというのは、僕の痩せたお尻には至難の技で、3日後には皮がすりむけていた。

 

この街か列車の中で二人の日本人旅行者に出会う。彼らは中国の大学に通っていて、夏季休暇を利用してチベットに旅行するつもりらしい。同じ方向だ!

 

一人で言葉もわからず不安な僕は彼らに一緒にチベットまで行ってもいいかと尋ねたら、快く受け入れてくれた。彼らは中国の生活事情をよく知っていて、中国語もペラペラだった。彼らは見事に僕の旅を救ってくれた。それはもう孤独な生き残りの旅ではなく、楽しい観光旅行に変わった。

 

 

チベットへの山道

 

たちはもう一つ別の列車に乗って、グーアルムと言う街へ。そこからバスに乗ってチベットのラサへ。このバスは政府が提供する観光ツアーの一環で、ホテルへの滞在とチベット内の観光ツアーが含まれていた。このツアーに申し込むのがチベットに入域する唯一の手段だった。

 

3日かけて5000メートルの峠を超えてチベットに向かった。みんながみんな高山病に気をつけろと言うのでそれ用の薬を用意していたんだけど、さすがに5000メートルは半端なく高すぎて、薬は全然助けてくれなかった。バスの中の誰もが頭痛と目眩で苦しんでいた。山道はあまり開発されておらず、曲がりくねった道は僕達を吐かせ続けた。

 

かなりハードコアに嫌悪感に満ちた旅路だった。ありとあらゆる肉体的苦痛に加え、中国人の乗客たちのマナーの汚さ(彼らに取っては普通なので、ただの文化の違いを批判するべきでは無いのだが)、彼らはあらゆるゴミをバスの通路内に捨てていく。たとえそこに誰かのカバンがあろうと彼らには関係ない。その上、ひまわりの種の殻や、タンやつばまでカバンの上に吐き出していく。

 

たまにトイレ休憩でバスが止まっても、そのトイレは異常なほど汚くて近づくことも出来ない。ここで説明するのを控えてしまうほどだ。僕たちは大便をする場所を探さないといけないのだけど、高地ゆえに木が全く生えておらず隠れる場所すら無い。

 

でも、常に嫌なことの反面には良いことがあるもので、バスが5000メートルの一番高い中国とチベットの境にある峠にたどり着いた時に、写真を取るための休憩になった。僕はバスを出て、大便をする場所を探した末に5000メートルの峠の反対側へたどり着いた。

 

そこは半端なく強烈に美しい景色で、景色でそれほどのショックを受けるとは想像もできなかったほど。この5000メートルの峠から一直線になだらかな斜面が延々と遥か彼方の山並みへとつながって消えていた。木は一本もなくただ緑の草原が無限と思えるほどに眼前に広がっていた。100キロくらいは見渡せたんじゃないだろうか。

 

あの時カメラを持っていたらよかったんだけど、僕はカメラを持たずに旅行していた、自分自身の眼と心に焼き付けたかったのだ。

 

3日間のしんどいバス旅行の末に僕たちはチベットにたどり着いた。

 

ちなみに画像の一番左の少年は当時19歳の私です。

 

次回は、チベットのお坊さんにセクハラされたりしつつも、生まれて初めての誕生日パーティー(二十歳)をチベットで向かえる話です。

 

生まれて初めての誕生日パーティーをチベットで向かえる(過去007)

 

Cryptraveler
ストイックなエホバの証人の母子家庭に生まれ、いじめられっ子として少年時代を過ごすことを魂の段階で選択する。 十代の時に全てに嫌気が差し宗教、学校、日本社会からドロップ・アウトし完全なノマドとして世界中を放浪し続ける。 何度かの強烈な覚醒体験を経験し、”それ”を自身の存在を通して表現する。 現在は意識の覚醒とハンドパンと暗号通貨を駆使して三次元の地球を遊びまくっている。

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